主観的に生きる

20代の後半の頃の思い出。

職場の先輩(その方は私より20歳くらい年上だと思う)に飲みに連れて行っていただいた。そのとき、こう訊かれた。

「アリちゃん、君の生き方のポリシーはなんだい?」

正確な言葉は忘れたが、こんな意味だった。私はそれにこう答えた。

「主観的に生きることです。」

この答について私は今でもよくこう答えたものだと思うし、今でも変わっていない。

でも、考えてみれば、あたりまえなのかも。「客観的に生きる」って、どういうことなのか?そんなことができるのか?他の人の人生を生きることができるはずがない。他の人の自分への評価を良くするために生きる、というのも、一見意味があるようで、まったく意味がない。

20歳くらいまで私は、「客観的」に生きていた。同級生からよく思われたり先生に褒められたくて勉強し、同級生や世間の人からの評価を得たくて偏差値の高い大学の入学試験に合格しようと頑張った。もとは勉強して知識を得てその内容がおもしろいから勉強していたはずなのに、いつの間にか変わってしまっていた。

五月病になり、人生を生きる推進力を失ってしまった。

何かに集中し、その集中している感覚に生き甲斐を見出す。そうして生きることにした。

仕事をしておもしろいと感じる。人と話してその人の人柄を感じる。景色を見て美しいと感じる。

「主観的に生きる。」

そのなかで他の人への思いやりも生まれた。

「主観的に生きる。」これが私の人生のいち大テーマなので、今後も書きますね。

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