松本あめ市訪問記(3)

本町通りを松本城へ向かって進む。
松本市内からは雪を被った北アルプス(飛騨山脈)がどこからも見える。
なかでも常念岳が目立つ。

本町通りも良いが、大手門通りから登城すると、より気分が良かろうと考えた。
蕎麦屋さんに立ち寄り、蕎麦を食べた。私が現在までに食べた蕎麦の中で私には最高の蕎麦であった。流石、蕎麦どころ信州である。

松本城公園にはいる。立ち並んでいるのは、しだれ桜の木だろうか?春になって再訪したら更に美しいだろうと思えた。

松本城の向こうに飛騨山脈を望む。

スカイラインで言えば常念岳の姿の左のスロープを降り切ったところに、エイエイオー!と槍を突き立てたように立っているのが槍ヶ岳だと、地元の方が教えてくださった。松本市内でもこのあたりからしか、しかも快晴の日しか見えないということだった。見ることができたのはとても幸運であった。

画面まんなかに上に向かって槍を突き上げたように立って見えているのが槍ヶ岳

松本市内では、いたるところに清水が湧き出していて、側溝に清流が流れている。
松本城のお堀にも清水が常に湧き出し、お堀の水はとても澄んでいた。

水面の波の影が、お堀の底に映っているのが見える。

松本城に登城した。

帰途に就く。

来た時に居酒屋のご主人が乾物や佃煮などを売っていたところをさがした。やっと見つけることができた。イナゴの佃煮が未だ売り切れていなかったのでよかった。購入した。1パック500円だった。

あずさに乗って山梨の家に帰宅。
イナゴの佃煮をおつまみに酒を飲む。実に日本酒に合う。稲が穂を付け、米になり、酒になり、一方ではイナゴが穂を食べ、佃煮となって、口の中で再び出会う。実に良い。(^^♪

イナゴの佃煮。
アメリカのリベラリスト昆虫食推進者たちにこの味を教えてあげたい。(^^♪。
酔った!

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松本あめ市訪問記(2)

甲府を9:08の特急あずさ3号に乗る。乗客は満席に近い。甲府市内を抜け、沿って走る国道20号線を左に見ながら、左の赤石山脈(南アルプス)と右の八ヶ岳の間の峠に向かっていく。車窓には冬枯れの木々の連なる森が見える。北杜市のこのあたりの景色は夏もよいが、冬のこの厳しい風景も僕は好きだ。
小淵沢に停車。小海線に乗り換えるらしい人々が降りていった。
富士見に停車。意外と多くの人が降りた。皆さんリュックサックを背負っている。
上諏訪駅に停車。降りる人も多いが乗る人も多い。特急あずさは、県外のビジネス客・観光客の他、地元の人達の日常の足にもなっているようだ。上諏訪から下諏訪にかけて諏訪湖を見ることができる。
塩尻に停車。次の松本まですぐなので降りる準備をする。甲府盆地より標高が600m以上高いらしい松本では耳内の気圧が外気とすぐには合わず、音声が聞こえにくい。
あずさから降りる。松本は流石に寒い。
あずさたちが駐車場に並んでいる。なんか、かわいい。

改札を通り、繁華街の反対側を見ると、雪化粧をした山脈が見える。飛騨山脈だ。

窓ガラスには山の案内があって、山の名称を知るのにはありがたい。

山脈の名前が「北アルプス」とだけしか記されていないことに、私はここで反対意見を表明しておきます。私の地元に近い赤石山脈も「南アルプス」と記されることが多い。でも、北アルプスには「飛騨山脈」、南アルプスには「赤石山脈」、ついでに言うと中央アルプスには「木曽山脈」という歴としたご本名があるのだから、それも使うべきだと、日ごろから思っています。

居酒屋。昼間だから未だ営業していない。長野県には古めかしい建物を残して売り物にしているところが多い。ここの主人と思われる方が店の前にテーブルを置いて乾物や佃煮などを売っていらっしゃいました。イナゴの佃煮を見つけたので、帰りに残っていたら買いますと言って、先に進んだ。

お酒が納めてある。

酒の販売店さん。

信毎メディア・ガーデンで飴を売っていて、黒山の人だかりでした。

あめ市を見に行くだけのつもりだったが、飴をかなりたくさん購入してしまった。
飛騨牛コロッケを売っていたので購入して食す。揚げたてのコロッケを屋外で食べると更に美味しい。

信毎メディア・ガーデンを離れて、松本城に向かった。

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松本あめ市訪問記(1)

「敵に塩を送る」という文は、「たとえ敵でも、苦境の時は助ける」、「敵だからといって、弱みに付け込まない」という意味がある。

戦国時代、甲斐(武田)、駿河(今川)、相模(北条)の結んでいた三国同盟が崩壊した後、駿河今川と、相模北条が、武田信玄の領地である甲斐へ塩を売ることを禁じた。
この時、越後の上杉謙信は、甲斐に生きる民のことを想って塩を送った。塩を送った、というより、塩の輸出禁止をしなかった。
当時、武田領は信濃にも及んでいた。そのため信濃も「塩封鎖」の対象となった。信濃の民にしてみれば、いい迷惑なことである。

上杉謙信が信濃および甲斐への塩の輸送を許したため、信州・松本にも「義塩」が届いた。
それが1月11日であった。

この「敵に塩を送る」の故事に由来した伝統行事「あめ市」が毎年この時期に松本市の中心市街地一円で開催される。江戸時代前期から開催されており、古くは「塩市」だったものが、「塩かます」をかたどった飴を売るようになり、現在の「あめ市」となった。

令和2年は、1月11日(土)、1月12日(日)に開催されている。日曜日である12日に多くのイベントが行われるようだが、私は11日に訪問した。

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