IT(情報技術)の無い時代には口コミ(くちコミュニケーション)だけであっただろう。為政者からの通知は使者による宣告であったと思う。人々の識字率が上がると宣告は文字に書いて掲示することによって行われた。やがて新聞(日本では”かわら版”)(ITの一種)が出現して、人々の社会知識が拡大した。ラジオ、そしてテレビが出現した(それぞれIT)。それによって音声、そして動画の伝達が可能となった。新聞・ラジオ・テレビ等がマスコミと呼ばれ、社会的に大きな力を持つようになった。
マスコミ各社は、はじめは世の中の出来事を素直に誠実に伝達していたのだろうが、マスコミ各社自身の金銭的利益のために脚色を施すことによって拡販を図った。拡販による利益拡大のみが目的となったマスコミ各社は、自分の商品である記事や番組が正確さを欠いても平気になった。彼らは今(西暦2020年初冬)自社の利益のためにフェイクニュースを洪水のように流している。
インターネットが無い時代であれば、すべての人をだますことができたかもしれない。しかしインターネットの発達によって、それは不可能になった。
遠隔地に向けて話しかけることができるようになったインターネットという新しい口コミによって、人々はマスコミから「正しい情報」を取り戻しつつある。
王様のところを服職人が訪れ、王様のために素晴らしい衣装を仕立てた。その衣装は、いままで誰も見たことが無いほどに美しい。しかしそれは、賢者にしか見ることができず、愚か者には見ることができない。王様はその衣装を国民に見せるためにパレードを行った。人々は王様の姿を見て、彼の衣装を褒めたたえた。実際には見えないのに。素直な子供がつぶやいた。「王様は裸だよ。」そのつぶやきを、周りのおとなたちが聞き、「そうだよな。」と、納得した。やがて人々は口々に叫んだ。「王様は裸だ!」(アンデルセン「裸の王様」よりAriizumi要約)
本稿の表題は「フェイクマスコミを卒業」だが、それは二つの意味に取れる。
[1]マスコミさんたちが意図的にフェイクニュースを流すことから卒業する。
[2]われわれ消費者(読者・視聴者)がマスコミから卒業する。
[1]が為されないのであれば、[2]に流れるのは必然的である。
西暦2020年12月20日、マスコミによるフェイクニュースの洪水を眺めながら。