自信について

「自信」というと、「私は〇〇について自信があります。」という言い方をよく耳にするが、ほんとうは違う。

自信とは「自分が生きているだけで価値がある、と感情的に思っていること」、だよ。

「私は学校の成績が良いから価値がある」と思っていると、試験で悪い点数を取ってしまった場合、かなりがっかりする。また「私は職場で高い地位にあるから価値がある」と思っていると、なんらかの理由で職場のその地位を失うと、がっかりする。

「学校の成績が良いから価値がある」と思っている人は、大きな試験に臨んで、「この試験に失敗したらどうしよう?」と思って、実力を発揮できない場合がある。試験に失敗することよりも、試験に失敗して自分ががっかりするのが怖いのだ。「職場で高い地位にあるから価値がある」と思っている人は、その地位を失うのを恐れて、積極的な発言や行動ができない。

自信の無い人は、イベントに失敗すること自体よりも、イベントに失敗して自分ががっかりすることが怖いのだ。そして、自信の無い人は、自分ががっかりするのを恐れるが為に、イベントに失敗することが多い傾向にあるのではないか?

自信を持つ方法は、私が考えるには、2つ有る。

ひとつ目は、「私には価値がある」と自分に言い聞かせること。
“I am a VALUE.”
と、1日何回も、1カ月間、自分に向かって言い続ける。人間の感情は条件反射なので、何回も繰り返し言い続けることによって、変えることができる。

二つ目は、失敗すること。失敗してみて、「あっ!、失敗してもこの程度しかがっかりしないんだ!自分は思ったよりしっかりした奴なんだ!」と分かって、自信を持つことができる。この方法は、自分の心のなかの自信を確認することはできるが、その失敗による物的および社会的損失が伴うので、わざわざ行うのでなく、失敗したとき、自分の心のなかの自信を確認するのが良いと思う。

以上、偉そうなことを言って参りましたが、それは私があまりに自信が無い人であったからこそ分かったことであります。或る先生の多くの著書を読んで学んだことの受け売りでもありますが、それについては稿を改めることにします。

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主観的に生きる

20代の後半の頃の思い出。

職場の先輩(その方は私より20歳くらい年上だと思う)に飲みに連れて行っていただいた。そのとき、こう訊かれた。

「アリちゃん、君の生き方のポリシーはなんだい?」

正確な言葉は忘れたが、こんな意味だった。私はそれにこう答えた。

「主観的に生きることです。」

この答について私は今でもよくこう答えたものだと思うし、今でも変わっていない。

でも、考えてみれば、あたりまえなのかも。「客観的に生きる」って、どういうことなのか?そんなことができるのか?他の人の人生を生きることができるはずがない。他の人の自分への評価を良くするために生きる、というのも、一見意味があるようで、まったく意味がない。

20歳くらいまで私は、「客観的」に生きていた。同級生からよく思われたり先生に褒められたくて勉強し、同級生や世間の人からの評価を得たくて偏差値の高い大学の入学試験に合格しようと頑張った。もとは勉強して知識を得てその内容がおもしろいから勉強していたはずなのに、いつの間にか変わってしまっていた。

五月病になり、人生を生きる推進力を失ってしまった。

何かに集中し、その集中している感覚に生き甲斐を見出す。そうして生きることにした。

仕事をしておもしろいと感じる。人と話してその人の人柄を感じる。景色を見て美しいと感じる。

「主観的に生きる。」

そのなかで他の人への思いやりも生まれた。

「主観的に生きる。」これが私の人生のいち大テーマなので、今後も書きますね。

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