IT:省力化から文化創造へ(2)

40年前に比べてコンピュータの性能は1万倍になった。
では「世の中にそれほど計算することが有るのか?」という懸念は現実化したか?
現実化した!

科学技術計算ではコンピュータの性能は高ければ高いほど良い。実数を対象に成り立つ数式をシミュレーションするには、デジタル数字は桁数が多く精度が高ければ高いほど良いからだ。スーパーコンピュータの開発を巡って某国会議員が発言した「2番じゃダメなんですか?」を真に受けてはいけない。各国でスーパーコンピュータの性能を上げる努力が続けられている。科学技術計算においては「世の中にそれほど計算することが有るのか?」という懸念は無用なのだ。

事務計算において、「世の中にそれほど計算することが有るのか?」という懸念が、現実化した!私は事務処理系のシステムの開発や運用に携わるシステムエンジニアのひとりであったが、システムを開発してその運用を開始する毎に、対象の仕事が省力化され、それまでその仕事に携わって来た人員が削減されるのが常であった。人員削減と言っても、日本の雇用慣行では削減対象の仕事の担当者は別の仕事に配置換えされるので、失業するわけでは無い。人の雇用を続けるため、システム化可能な仕事をシステム化しないで、人の仕事を残す場合さえ有った。従業員の雇用を守るため、システム化なんかしなければいい、という考え方も有るが、そんなことをしたら、企業間競争や国際競争に負けて、みんなが失業する恐れが有るのだ。
私Ariizumiは、自分の仕事をシステム化・省力化したのが元で自分の退職を早めた人なのだが、その経緯は後にこのブログで述べたいと思う。
昨年、大手電気機器メーカーや大手損害保険会社で、3千人から4千人規模のリストラが発表された。「リストラ」というのはご存じのように大量退職勧奨計画を表す日本語だ。これはバブル採用組の処遇の問題も有るが、コンピュータの導入による省力化も大きな原因のひとつだと考える。

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IT:省力化から文化創造へ(1)

私は40年前或る情報処理企業へ入社した。
その頃のコンピュータは大型機が主流で、入力は縦10cm、横20cm位の紙のカード、出力は縦30cm、横50cm位の紙であった。
コンピュータ本体は縦横高さそれぞれ2m程の立方体の金属の箱に納められていた。その周りに磁気テープ入出力装置が十数台、磁気ディスク装置が40台から50台が置かれ、カード読み取り装置が1台と数台の高速ラインプリンタが置かれていた。緑色の文字が並ぶブラウン管画面を見ながら、その画面の前にあるキーボードに、男性が何か不思議な文字列をタイプインしていた。SF(サイエンス・フィクション)のいち場面のように見えた。自分が別の惑星に迷い込んだように思ったものだ。

当時は、とても高価で高速処理のできるCPU(中央演算処理装置)に、多くの入出力装置を接続して、1台のコンピュータで大量に計算処理を行うという考え方が主流であった。

半導体の高性能化と大量生産、磁気ディスクの小型化と大量生産が進められ、将来のコンピュータは1万倍の性能を持つようになると予想されていた。そして、「世の中にそれ程計算することが有るのか?」と、懸念もされていた。

当時のコンピュータの仕様が手元に無いので、数値的な比較はできないが、直観的には、「1万倍の性能を持つようになった」と言えるだろう。

大きさは1万分の1、価格も1万分の1。入出力はひとり分の速度だが、世の中に多くのコンピュータ(PC:パーソナル・コンピュータ)が有るので、入出力の待ち時間は無い。それによって、全体で1万倍以上の性能を持つ。

コンピュータの発達はそれで終わりかと思っていたところに、PCの強敵として、スマホ(スマートフォン)が現れた。手のひらサイズのコンピュータだ。手のひらサイズでPCと同等と言ってもよい性能を持つ。

ちなみに、スマホという言葉に、IOS搭載マシンとアンドロイド搭載マシンの両方を含めるのか?、アンドロイド搭載マシンをスマホと呼び、IOS搭載マシンをiPHONEと呼んで区別するのか?現在、両方が混用されていると感じる。

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赤穂浪士討ち入りは終活であったか?

甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は北信濃の支配権を巡って何回も戦った。この数次の戦いが総称して川中島の戦いと言われる。何回も戦わなければならなかった理由のひとつは、当時の武士が農民を兼ねていたため、農閑期である冬季しか戦ができなかったためだ。
織田信長が、常時武士である身分を考案し(兵農分離)、それにより、春から秋にかけての農繁期にも戦ができるようになり、信長は天下統一に向けて大きく進むことができた。

徳川家康が関ケ原の合戦(1600年)を経て天下を統一し、征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を創設した(1603年)。
太平の世になり戦はなくなったが、専門職としての武士は幕府の旗本や各藩の家臣として武士を続けることとなった。戦がないので、武士はそれぞれ些細な仕事を担ってのワーク・シェアリング状態であった。

江戸徳川幕府成立後約百年が経過した。
元禄14年(1701年)3月、播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城松の間で刃物を取り出し高家吉良上野介義央を刃傷に及ぶという事件が発生した。将軍綱吉は浅野内匠頭長矩に即日切腹を命じた一方、吉良上野介義央にはお咎めもなく、むしろ見舞いの言葉さえかけたのであった。

浅野家はお家断絶、赤穂藩はお取り潰しとなった。このことにより、赤穂藩家臣は禄も役宅も失うこととあいなった。
このうち「役に立たない昼行燈」と陰で評されていた城代家老大石内蔵助良雄をリーダーとして或る秘密プロジェクトを起こしたグループが居た。浅野内匠頭長矩の弟・浅野大学を家長として浅野家再興を願い、それが叶わなければ、長矩の果たせなかった目的を代わって遂げるため、吉良を討とうとするグループだ。
赤穂浪士グループは、庶民の助けや他の大名の助けも得て、この困難なプロジェクトを推進し、浅野家再興が叶わなかったことを受けて、元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明、吉良邸を襲撃し、吉良上野介を討ち取ることとなった。

僕はこの物語がかなり好きだ。日本人のかなり多くの人々が昔からこの物語を好きだから、歌舞伎や映画やテレビドラマで語られて来たのであろう。
自分が何故この物語を好きなのか考えると、秘密プロジェクト推進の面白さ、大石内蔵助のリーダー像、堀部安兵衛など何人かの際立った登場人物、庶民や他の大名が助けるところ、などだと思える。
「忠義」については、現代日本社会にそういう概念が薄れているせいか、よく理解できないで居た。忠義は感情の問題ではなく、現代日本で考えると国会で多数決で定められた「法律」にも近く、当時の不文律・社会習慣のようなものだったのではないかと思う。だから、それを知らなければ理解できないのであろう。

「赤穂浪士討ち入りは就職活動であった」という説を最近聴いた。討ち入りによって熱意を表し、名声を得て、他の家への家臣としての就職につなげるのが目的だった、という説である。そうとう犬儒主義的(シニカル)な見方であり、僕はかなり不愉快に感じた。自分が興味を持っている対象を冷笑された、興味を持っている自分が冷笑された、そして、日本人が冷笑された、さらには、日本文化が冷笑された、ように思ったのだ。
忠義について理解できなくとも、就職活動とまでは言わないでもらいたい。このエッセイの冒頭でも述べたように、武士はワーク・シェアリング状態であり、それで就職活動につなげられると思ってはいなかったと思う。
そして、就活ではなく終活だったのではないかと考えた。生きることができないから、死に場所・死に方を求めての終活であった、ような気もするのだ。

現代においても、労働流動性の比較的低い日本社会で、失業はかなりつらい。1999年から2012年の14年間の不況により、失業によって約14万人が自殺したという説もある。
女性は失業しても精神的に割と平静だが、男性は失業すると女性に比べてかなり落ち込むという説がある。これは女性の強さという面から語られることが多いが、社会の男性への厳しさの面もある。女性は職業を自己アイデンティティーとしていない人が男性に比べて多く、また、社会も女性には見る目が優しいと思うのだ。若い女性には「家事手伝い」という身分もあるし、それがあっていいと思う。
女性は家の中での仕事も多いし、家の外での職業を持っていなくても社会にも受け入れられる。
それに比べて、男性には仕事を自己アイデンティティーとしている人も多く、職業を持っていない男性には厳しい目が向けられるように、自分では思う人も多いと思う。
それで、仕事を失うことが死ぬよりつらい、という事態が発生する場合があるのだ。

失業して再就職できないから生きることが難しく、武士としての自己アイデンティティーの実現のための、死に場所を見つける「終活」であったと考えることもできる。江戸時代の考え方である「忠義」からであったかもしれないが、それが理解できず、現代の個人主義的な価値観から、自分のことを中心に考えたとして、赤穂浪士の討ち入りは終活であったとも考えられるのである。

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ナンバーワンよりオンリーワン「世界に一つだけの花」

地元のスーパーマーケットで「世界に一つだけの花」がBGM(歌無し)としてかかっているのを聴いた。僕の好きな曲だ。一番好きな、と言わないところがこの曲の趣旨に合致。
SMAPが歌って大ヒットした曲だから知らない人は殆どいないと思うけど、知らない人や歌詞をうろ覚えの人のために、歌ネットさんにリンクを張っておきますね。

世界に一つだけの花

槇原敬之作詞・作曲

花にはそれぞれの美しさがある。それなのに人はどれが一番美しいか決めたがる。一番を決める必要は無いだろう?ナンバーワンが有ってもいいが、みんなオンリーワンの価値を持っているだろう?

花も恥じらう女性を花に例えることが多いが、僕は、人生にかなり疲れたオッサンとしてこの歌を聴いた。また、この歌詞のなかに、女性を花に例えている様子も無い。花は一般的に人を指しているようだ。僕のように自分の事を思って聴いた男性も多いのか。それも大ヒットの原因かな。

でも、蓮舫議員が言った「2番じゃだめなんですか?」には、反対だ。
日本は、ぜひ、スーパーコンピュータ(蓮舫議員が言った場面)でもトップを目指してほしい。
オリンピックのそれぞれの種目で金メダルを目指す選手の姿は美しい。
だれもが、全力を尽くして事に当たる姿は、美しい。

でも、そこでナンバーワンになれなかった人にもそれぞれの存在価値はある、特に自分についてそう思う、ということだよ。

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身の丈発言、どこが悪いのか?

萩生田光一・文部科学大臣が「身の丈に合った」と発言したとして、野党やメディアから批判されている。
「身の丈に合った」のどこが悪いんだい?

人は、それぞれの時代・国・地域・家庭に、それぞれの外見・身体能力・才能を持って生まれてくる。まさに「多様性」がある。
文字通りそれぞれ「身の丈」が違う。自分の身の丈が気に入らないからといって、身の丈に合わない服を着たら、それは滑稽である。

自分の生まれて生きる時代・国・地域を否定しても仕方がない、と多くの人は思う、と思う。
また、自分の外見・身体能力・才能を拒否しても仕方がない。
有名芸能人のように見栄えがする外見に生まれてチヤホヤされたらいいな、と思う。
オリンピック選手やプロ・スポーツ選手を目指せる身体能力を持って生まれた人もうらやましい。
でも、自分が生まれた(時代も含めた)環境や、自分の外見・身体能力・才能は、「宿命」なのだ。
それを受け入れて自分なりに努力すればいいのだ。あとから考えれば、その努力が自分による自分の評価となる。

野党やメディアは、いったい誰に向かって不満を言っているんだい?
自然の理、”かみさま”に向かってかい?

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性格は変えることができる

私は心理学を専門的に勉強した者ではないが、「自分」を長年ハンドリングして今まで生きた実績のあるひとりとして発言を許されると思う。
発言とは
「性格は変えることができる」。

私は、自分が人から悪く思われているのではないか?などと考え、とても不安定な人であった。
そういう性格がどうして出来上がったかということは考えてもしかたのないことなので、ここでは記述しないが、
「性格は自分の思う方向に変えることができる」
ということは、記述したい。
自分で実績があるから、自信を持ってそのように記述する。

性格とは、思考方法の癖であって、条件反射の一種だ。条件反射は長年のパブロフの犬状態の中で形成された。したがって条件反射をすぐに直すことはできないが、でも、数カ月程度で直せると思う。

直す方法。
直したいと思うことを文にして心の中で何度も唱える。1カ月から数カ月。
自分の心にその思考方法が発生したと思ったら、その文を唱える。
以上。
です。

私の場合は、次の文を唱えた。
”What he thinks of me is none of my business.”
”What she thinks of me is none of my business.”
”What they think of me is none of my business.”
それで直った。

30年ほど前に、加藤諦三先生の著書を多数読み、その中で、自分で考えた方法であります。
”What he thinks of me is none of my business.”
というセンテンスも、先生の著書に有った文です。加藤諦三先生の本は、当然日本語で書かれているが、その中に掲載されていた英語のセンテンスです。

自分の性格で悩んでいても、自分が悪いと思っている点が、他の或る人から見たらチャームポイントである場合もあります。
でも、自分の性格の或る点によって、自分が崩壊しそうな場合は、上記の方法を試してみたら良いと思います。

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近い未来にイベントを設定する

生きる意味とは何か?、と問うても、答を見出すのは難しい。
でも、人生で「生きるべきか死ぬべきか?」と考えた場合は、殆どの場合、「生きる」を選択したほうがいいと思う。

気を取り直す方法。
ひとつの方法として、近い未来にイベントを設定すること、がある。

通販で物品を購入する。すると物品が手元に届くまでの数日の間、実に幸せでいられる。
旅行の計画を立てて、宿泊施設を予約する。すると旅行の日を楽しみに暮らすことができる。

山梨には「無尽(むじん)」というイベントがあり、多くの人が、ひとつまたは複数の「無尽」に属している。そして無尽の日を楽しみにしている。
「無尽」は庶民の生活互助会として、鎌倉時代あたりから日本じゅうに存在したようだが、山梨には、「仲間がときどき集まって飲み会をする」という習慣として「無尽」という名とともに残っている。
「無尽」は正にそういうイベントなんだな、と思う。
各地にそういう寄合を持つ人も多いと思うが、「無尽」という呼び方が、ちかごろ山梨から日本じゅうに伝搬しているようだ。
世界じゅうに伝搬して、「MUZIN」が広まるといいな!

唱歌「お正月」(東くめ作詞、瀧廉太郎作曲)。
「もういくつ寝るとお正月」と、お正月を待ちわびるこども。生きるのがつらいんだろうな、と思った。
私は学校でいじめられていたわけでもないが、学校がつらくて、「あと何日で冬休み」などと考えていたから。

人生を楽しく生きる秘訣。

近い未来にイベントを設定して、それを楽しみに生きる。

これだね!(^_-)-☆

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後悔こそ、わが人生

当ブログ10月15日「台風19号が来た」から一部を引用します。
「最終的には自分の判断に任せられる。判断の責任は自分にある。結果は運による。
考えてみれば、人生での決定は、そんなものだろう。どの選択肢が最善かは、自分にもそのときは、わからない。それどころか、あとになってもわからない。ただ、判断の責任は自分にある。」

強い台風の接近のため、悲しいほどに雨がふり、洪水の被害に合う危険を感じながら書いた文章でありました。
このような立派なことを書いたのは、普段の私が、そのような考えとは、まったく反対の人だからなのです。いつも過去の自分の決定を後悔し、いつも過去に出会った人を責め、いつも現在の自分の境遇に不満を言っているのです。
だから自分など弱すぎるほど弱い人間だと諦観することができ、当ブログの今日の表題のように考えたのです。
「後悔こそ、わが人生」

今までの人生の各分岐点に際して違う決定をしていたらよかったのか?
今の自分はそのほうが良かったと言って、過去の自分や、その時の自分を取り巻く人々を責めているが、そのとき違う決定をしていれば、自分の人生が、今自分が経験している人生より良いかどうかはわからないのだ。
それでも僕は後悔する。
「後悔こそ、わが人生」
デカルト流に、こんなフレーズもいいかな?
「われ後悔す、ゆえにわれあり。」

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旅に出よう

日常生活で嫌なことが有って、そのことに気を取られて生きるのがつらいときは、旅に出よう。

行先は、今まで行ったことが無い、地方都市がいい。

地方都市の平日の朝。その都市の朝の通勤・通学ラッシュ。
午後7時。家路を急ぐ人々。

各駅停車の列車に乗る。駅で、その土地の人々が乗って来て、そして降りて行く。

多くの人が居て、それぞれの人にそれぞれ生活がある。
自分もそのなかのひとりであり、ひとつの生活がある。

当然のことだが、それを感覚的に解ることができる。

僕は旅行に行っても観光地を見物するより、そういうことを考える。
(困ったオッサンです。)

人生も、旅も、いろいろ有っていいと思う。

「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」 by 松尾芭蕉

旅行のご予約は「るるぶ」さんへ(^^♪。

国内旅行予約は

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台風19号が来た

令和元年10月11日(金)。台風19号が日本に向かっているという。地球史上最強の台風だとのこと。アメリカの政府機関が、この台風はカテゴリー5の最高レベルで、今後カテゴリー6も考えなければならないとコメントしたとか。

2日間くらい家の外に出なくてよいようにスーパーマーケットで買い物をする。そのスーパーマーケットの他の買い物客たちも、そのために買い物をしているように見えた。(なんとなく。)

11日夕方になって雨が降って来た。

12日(土)。朝はそれほど強くなかった雨も午後からは強くなった。庭の木々を見ると枝は揺れていない。風は弱いようだ。
そして雨は降り続く。雨は悲しいほどに降る。

暗くなって来た。雨はいよいよ強く降り続く。こんなに長い時間、こんなに強い雨が降ってどうなるんだろう。木の枝の振れが大きくなって来た。

17:30。防災無線で一部地域に高齢者避難勧告が出た。警戒レベル3だという。防災無線で避難勧告を聴くのは私は初めてだ。

リュックサックに貴重品・日用品と、海中電灯と電池、温度調節のための服、フェイスタオル3枚、ビニール袋などを入れた。たまたまビニール袋をたくさん購入してあった。それがいろいろな時に役立つように思えた。

18:00。防災無線で全域に避難勧告が出た。警戒レベル5だという。しかし全域の全員が避難したら避難所は足りないだろう。それに雨が強い。私の家から指定された避難所まで行くのには、橋を渡る必要がある。その橋が架かる川は大雨での増水が激しい。街の周りを流れている川の水位を知りたかった。小学生のころ徒歩で歩き回った場所の地形はコンピュータ・グラフィックスのように頭に浮かぶ。避難するかどうか決定するのに必要な情報は川の水位だけだった。

行政の勧告はあいまいだが、それは当然だ。全域の状況を全て把握できているわけではないだろう。たとえそれができていたとしても防災無線でのアナウンスという限られた情報のなかで詳細を伝えることは不可能だ。ただ、川の水位という情報が欲しかった。

家に留まることを決定した。それによって被害があるとしても自己責任だと考えた。
行政はよくやってくれている。河川の護岸工事。ハザードマップの作成と配布。避難方法の策定。

最終的には自分の判断に任せられる。判断の責任は自分にある。結果は運による。

考えてみれば、人生での決定は、そんなものだろう。どの選択肢が最善かは、自分にもそのときは、わからない。それどころか、あとになってもわからない。ただ、判断の責任は自分にある。

だれかに向かって「謝罪と賠償を求める」などと言うカッコ悪いことはしないぞ!と思った。

18:30。台風19号は伊豆半島に上陸した。

その後、私が住んでいる所の風雨は弱まって行った。一晩中起きているつもりだったが、日付が変わる頃には眠ってしまったようだ。

朝起きると、台風一過の晴天に恵まれていた。涼しい。そして秋が深まる。

国、自治体、自衛隊、警察、消防、それから電力などのインフラや交通機関。それらの組織で働く人には頭が下がる。

避難の決断は自分の責任だと考えた。そのためには次の2つのことが良いと思う。

ひとつ目。高校で地学を必修とする。
ハザードマップや避難方法などの書かれたパンフレットが自分が住んでいる自治体から配られるが、それを有機的に理解するためには地学の知識が必要だと思う。高校で地学が選択教科となり地学を選択しない生徒も多いようだが、地震が多く台風も来る日本に住むには、地学の知識は必要だろう。それも地元の地学的特徴を学習するととても役に立つと思う。

二つ目。エリア内の主要な河川の定点に川の水位が分かるように防災カメラを設置し、そのライブ映像を自治体のWEBサイトから見ることができるようにする。
今回の経験から良いアイデアだと思ったのですが、既にそのような意味で防災カメラが設置してある場所も多いようです。

今回の経験から、防災セットを常備することが必要だとわかりました。

詳細は、防災グッズメーカーLA・PITAのWEBサイトで。
こちらをクリックお願いします。

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