赤穂浪士討ち入りは終活であったか?

甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信は北信濃の支配権を巡って何回も戦った。この数次の戦いが総称して川中島の戦いと言われる。何回も戦わなければならなかった理由のひとつは、当時の武士が農民を兼ねていたため、農閑期である冬季しか戦ができなかったためだ。
織田信長が、常時武士である身分を考案し(兵農分離)、それにより、春から秋にかけての農繁期にも戦ができるようになり、信長は天下統一に向けて大きく進むことができた。

徳川家康が関ケ原の合戦(1600年)を経て天下を統一し、征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を創設した(1603年)。
太平の世になり戦はなくなったが、専門職としての武士は幕府の旗本や各藩の家臣として武士を続けることとなった。戦がないので、武士はそれぞれ些細な仕事を担ってのワーク・シェアリング状態であった。

江戸徳川幕府成立後約百年が経過した。
元禄14年(1701年)3月、播州赤穂藩主浅野内匠頭長矩が江戸城松の間で刃物を取り出し高家吉良上野介義央を刃傷に及ぶという事件が発生した。将軍綱吉は浅野内匠頭長矩に即日切腹を命じた一方、吉良上野介義央にはお咎めもなく、むしろ見舞いの言葉さえかけたのであった。

浅野家はお家断絶、赤穂藩はお取り潰しとなった。このことにより、赤穂藩家臣は禄も役宅も失うこととあいなった。
このうち「役に立たない昼行燈」と陰で評されていた城代家老大石内蔵助良雄をリーダーとして或る秘密プロジェクトを起こしたグループが居た。浅野内匠頭長矩の弟・浅野大学を家長として浅野家再興を願い、それが叶わなければ、長矩の果たせなかった目的を代わって遂げるため、吉良を討とうとするグループだ。
赤穂浪士グループは、庶民の助けや他の大名の助けも得て、この困難なプロジェクトを推進し、浅野家再興が叶わなかったことを受けて、元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明、吉良邸を襲撃し、吉良上野介を討ち取ることとなった。

僕はこの物語がかなり好きだ。日本人のかなり多くの人々が昔からこの物語を好きだから、歌舞伎や映画やテレビドラマで語られて来たのであろう。
自分が何故この物語を好きなのか考えると、秘密プロジェクト推進の面白さ、大石内蔵助のリーダー像、堀部安兵衛など何人かの際立った登場人物、庶民や他の大名が助けるところ、などだと思える。
「忠義」については、現代日本社会にそういう概念が薄れているせいか、よく理解できないで居た。忠義は感情の問題ではなく、現代日本で考えると国会で多数決で定められた「法律」にも近く、当時の不文律・社会習慣のようなものだったのではないかと思う。だから、それを知らなければ理解できないのであろう。

「赤穂浪士討ち入りは就職活動であった」という説を最近聴いた。討ち入りによって熱意を表し、名声を得て、他の家への家臣としての就職につなげるのが目的だった、という説である。そうとう犬儒主義的(シニカル)な見方であり、僕はかなり不愉快に感じた。自分が興味を持っている対象を冷笑された、興味を持っている自分が冷笑された、そして、日本人が冷笑された、さらには、日本文化が冷笑された、ように思ったのだ。
忠義について理解できなくとも、就職活動とまでは言わないでもらいたい。このエッセイの冒頭でも述べたように、武士はワーク・シェアリング状態であり、それで就職活動につなげられると思ってはいなかったと思う。
そして、就活ではなく終活だったのではないかと考えた。生きることができないから、死に場所・死に方を求めての終活であった、ような気もするのだ。

現代においても、労働流動性の比較的低い日本社会で、失業はかなりつらい。1999年から2012年の14年間の不況により、失業によって約14万人が自殺したという説もある。
女性は失業しても精神的に割と平静だが、男性は失業すると女性に比べてかなり落ち込むという説がある。これは女性の強さという面から語られることが多いが、社会の男性への厳しさの面もある。女性は職業を自己アイデンティティーとしていない人が男性に比べて多く、また、社会も女性には見る目が優しいと思うのだ。若い女性には「家事手伝い」という身分もあるし、それがあっていいと思う。
女性は家の中での仕事も多いし、家の外での職業を持っていなくても社会にも受け入れられる。
それに比べて、男性には仕事を自己アイデンティティーとしている人も多く、職業を持っていない男性には厳しい目が向けられるように、自分では思う人も多いと思う。
それで、仕事を失うことが死ぬよりつらい、という事態が発生する場合があるのだ。

失業して再就職できないから生きることが難しく、武士としての自己アイデンティティーの実現のための、死に場所を見つける「終活」であったと考えることもできる。江戸時代の考え方である「忠義」からであったかもしれないが、それが理解できず、現代の個人主義的な価値観から、自分のことを中心に考えたとして、赤穂浪士の討ち入りは終活であったとも考えられるのである。

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投稿者: Kimihito Ariizumi

ITから文化へ:山梨の吟遊ブロガー

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