身の丈発言、どこが悪いのか?

萩生田光一・文部科学大臣が「身の丈に合った」と発言したとして、野党やメディアから批判されている。
「身の丈に合った」のどこが悪いんだい?

人は、それぞれの時代・国・地域・家庭に、それぞれの外見・身体能力・才能を持って生まれてくる。まさに「多様性」がある。
文字通りそれぞれ「身の丈」が違う。自分の身の丈が気に入らないからといって、身の丈に合わない服を着たら、それは滑稽である。

自分の生まれて生きる時代・国・地域を否定しても仕方がない、と多くの人は思う、と思う。
また、自分の外見・身体能力・才能を拒否しても仕方がない。
有名芸能人のように見栄えがする外見に生まれてチヤホヤされたらいいな、と思う。
オリンピック選手やプロ・スポーツ選手を目指せる身体能力を持って生まれた人もうらやましい。
でも、自分が生まれた(時代も含めた)環境や、自分の外見・身体能力・才能は、「宿命」なのだ。
それを受け入れて自分なりに努力すればいいのだ。あとから考えれば、その努力が自分による自分の評価となる。

野党やメディアは、いったい誰に向かって不満を言っているんだい?
自然の理、”かみさま”に向かってかい?

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投稿者: Kimihito Ariizumi

ITから文化へ:山梨の吟遊ブロガー

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