後悔こそ、わが人生

当ブログ10月15日「台風19号が来た」から一部を引用します。
「最終的には自分の判断に任せられる。判断の責任は自分にある。結果は運による。
考えてみれば、人生での決定は、そんなものだろう。どの選択肢が最善かは、自分にもそのときは、わからない。それどころか、あとになってもわからない。ただ、判断の責任は自分にある。」

強い台風の接近のため、悲しいほどに雨がふり、洪水の被害に合う危険を感じながら書いた文章でありました。
このような立派なことを書いたのは、普段の私が、そのような考えとは、まったく反対の人だからなのです。いつも過去の自分の決定を後悔し、いつも過去に出会った人を責め、いつも現在の自分の境遇に不満を言っているのです。
だから自分など弱すぎるほど弱い人間だと諦観することができ、当ブログの今日の表題のように考えたのです。
「後悔こそ、わが人生」

今までの人生の各分岐点に際して違う決定をしていたらよかったのか?
今の自分はそのほうが良かったと言って、過去の自分や、その時の自分を取り巻く人々を責めているが、そのとき違う決定をしていれば、自分の人生が、今自分が経験している人生より良いかどうかはわからないのだ。
それでも僕は後悔する。
「後悔こそ、わが人生」
デカルト流に、こんなフレーズもいいかな?
「われ後悔す、ゆえにわれあり。」

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投稿者: Kimihito Ariizumi

ITから文化へ:山梨の吟遊ブロガー

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