働き方の変更:駆動力からハンドリングへ

 モノの製造において機械やロボットが果たす役割が大きくなり、組織の事務部門においてはコンピュータさらには人工知能が果たす役割が大きくなって来た。決まった方向にひたすら頑張るという従来型の労働は、そのようにして機械に取って代わられ、人間は違うことをしなければならなくなった。

人間労働者は何をしたらいいか?
それは、超多品種少量生産だと思う。
即ち”創造”なのだ。

大量生産は機械・ロボットが、事務はコンピュータ・人工知能が行う。多くの人は芸術家的な仕事をしなければならず、またそれができるようになって行くのだ、と思う。事実、ITエンジニアの私が、今、従来は作家その他の人々の仕事であった情報発信をしている。

組織の中では、「社畜」として駆動力になっているのでなく、多くの人がハンドルを握って、どちらに進むか意思決定することが求められる。組織形態は大企業中心から、小企業や個人活動中心になって行くと、私は考える。

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そりゃあデフレになるわけだ!

自分がかなりの歳であるせいもあるが、必要なものは所有していて、これから購入したいモノが、なかなか考えつかない。旅先で旅行記念の置物などを売っているのを見ても、残りの人生は長く無いし、これを所有してどうなるか?などと考え、購入しない。家電製品などで購入するのは、それまで使用していたものが壊れたときだけである。多くの人々がそのような考えだと、日本国内で、モノが売れないのも道理だと思う。

購買意欲の低下→デフレ

モノが売れない、モノの生産を海外へ移転、そして生産性の向上による労働者(消費者でもある)の収入の低下。この3点から、国民の購買力は低下している。

購買力の低下→デフレ

購買意欲も購買力も低下したら、そりゃあデフレになるわけだ!、と思う。

上記の理由から、金融緩和してもデフレから脱却できないように思っていた。
そして老後の心配も当然であり、メディアもその心配を煽る。さらに貯蓄傾向が増加する。
企業も労働者への給与を増やさず内部留保に邁進する。

そりゃあデフレになるわけだ!

(^^♪

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悲しきBPR

政府の掲げる「働き方改革」や、グローバル化・IT化の進むビジネス環境のなかで、改めてBPRが注目されているようだ。

BPR(Business Process Re-engineering =ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)は、業務・組織・戦略を根本的に再構築すること。
1990年代初頭、米国の長期不況によって疲弊した企業経営を見直し、立て直すための抜本的な革新として提唱された。

日本のバブル崩壊は、1991年~1993年とされる。
1995年にパソコンOS”Windows95”(Microsoft社)が登場し、パソコンの性能が大幅に向上した。

それまで事務処理の多くをコンピュータ化して事務作業を効率化、そしてその事務に携わる人員を削減して来ていた。

そこにBPRという概念が導入された。これは、事務の効率化・事務員の削減に対して、管理の効率化・管理職の削減だった、と思う。
業務の見直し→管理の効率化→組織の見直し→管理職の削減

パソコンの普及によって電子メールが多く使われるようになった。
それによって管理職の伝達機能は多く不要になった。意思決定の伝達も電子メールで行われることが多くなった。
それで少数の管理職で大きな組織の運営ができるようになり、組織の見直し、そして管理職の削減が可能となった。

おいおい、アリちゃん!「管理職の削減が可能となった。」って、さらっと言うが、「削減された」管理職はどうすりゃいいのさ?(笑)

続きは「悲しきBPRその2」をお楽しみに。

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旅に出よう

日常生活で嫌なことが有って、そのことに気を取られて生きるのがつらいときは、旅に出よう。

行先は、今まで行ったことが無い、地方都市がいい。

地方都市の平日の朝。その都市の朝の通勤・通学ラッシュ。
午後7時。家路を急ぐ人々。

各駅停車の列車に乗る。駅で、その土地の人々が乗って来て、そして降りて行く。

多くの人が居て、それぞれの人にそれぞれ生活がある。
自分もそのなかのひとりであり、ひとつの生活がある。

当然のことだが、それを感覚的に解ることができる。

僕は旅行に行っても観光地を見物するより、そういうことを考える。
(困ったオッサンです。)

人生も、旅も、いろいろ有っていいと思う。

「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」 by 松尾芭蕉

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Kimihito Ariizumi自己紹介

山梨県に生まれ育ちました。
山梨県の県立高校を卒業後、東京の大学へ。
理工学部数学科でした。
学部を卒業後、情報処理企業としては老舗企業でITエンジニアとして働きました。
退職して数年前山梨へ帰って来ました。

不思議なのは、山梨の山々が美しいことだ。幼児期から高校時代まで山梨に居たとき、甲府盆地を囲む山々は青い壁のように見えていた。それが今は、山々と光と雲のコラボによって、山々の景色は、いつも絵画なのだ。時間とともに変化し、同じ景色を二度と見ることはできない。絵画というより”ショー”というべきだとも思う。ここに人が住み着いてから何万年もの間、自然はこの美しきショーを只で私の先祖に見せてくれていたのだと、時に考える。

私のITエンジニアとして、そしてサラリーマンとしての経験をもとに、今後の日本のために何かアイデアを出せたらいいな、などと僭越なことを考えています。

また、山梨県について私の観点からご案内して行きたいと思っています。

Kimihito Ariizumiは、本名をローマ字で書いたものでありますが、同姓同名の方が1人いらっしゃいます。彼の存在は昔から知っていますが、私のこのブログや、Twitterが、彼に迷惑をかけないことを、私は望みます。

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宇宙ステーション”山梨”

岐阜県の高山市に鉄道に乗って行ったことがあるが、そのとき、高山市が川に沿って走る高山本線と対岸に見える道路が高山市と濃尾平野をつなぐ交通路で、その通行量がそれほど多くないことから、高山市を、宇宙に浮かぶ宇宙ステーションのように思った。

でも、わが故郷・山梨はその上を行くことを忘れていた。
山梨県は県単位で「宇宙ステーション」なのだ。

東京で「故郷は山梨です。」と言うと、「田舎ですね。」と言われることも多い。私の想像だが、そういうことを言う人は、清里や山中湖畔などの風景を報道で見て、県全体が清里や山中湖畔のようなところだと思っているのかもしれない。
初めて甲府を訪れて、「山梨にも大きな街が有るんですね。」などと言う人も多い。

甲府盆地は人口も多く市街地も有るが、東京から甲府盆地を考えたとき、そこへ行く交通路がJR中央本線と中央自動車道と国道20号線くらいしか無く(それだけでもかなりのものだが)、その先に市街地が有って多くの人が住んでいるなんて思いつかないのだろう。

山梨県は東京との間での人や物の流れが多く、その殆どが、前述の中央線、中央自動車道、国道20号線に依っている。

中央自動車道藤野PAに寄るとわかるが、その3路線は、藤野の辺りで集まっている。
このたびの台風19号の影響で藤野の辺りで土砂崩れが発生し、3路線ともそこで土砂に埋まり、不通となっている。
中央自動車道は今日復旧の見込みだが、中央線の完全復旧は10月末の見込みだ。

中央線の不通が続くので、普段は目立たない存在である身延線が大活躍している。特急ふじかわは指定席満席が続いているようだ。臨時列車も何本も運転中だ。

県外との交通路が少ないので、県外との交流も少ないのかもしれない。
例えば、山梨県には県特有の名字が多い気がする。私の名字もそのひとつだが。

”宇宙ステーション”と言うより”陸のガラパゴス”と言うべきかもしれない。

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台風19号が来た

令和元年10月11日(金)。台風19号が日本に向かっているという。地球史上最強の台風だとのこと。アメリカの政府機関が、この台風はカテゴリー5の最高レベルで、今後カテゴリー6も考えなければならないとコメントしたとか。

2日間くらい家の外に出なくてよいようにスーパーマーケットで買い物をする。そのスーパーマーケットの他の買い物客たちも、そのために買い物をしているように見えた。(なんとなく。)

11日夕方になって雨が降って来た。

12日(土)。朝はそれほど強くなかった雨も午後からは強くなった。庭の木々を見ると枝は揺れていない。風は弱いようだ。
そして雨は降り続く。雨は悲しいほどに降る。

暗くなって来た。雨はいよいよ強く降り続く。こんなに長い時間、こんなに強い雨が降ってどうなるんだろう。木の枝の振れが大きくなって来た。

17:30。防災無線で一部地域に高齢者避難勧告が出た。警戒レベル3だという。防災無線で避難勧告を聴くのは私は初めてだ。

リュックサックに貴重品・日用品と、海中電灯と電池、温度調節のための服、フェイスタオル3枚、ビニール袋などを入れた。たまたまビニール袋をたくさん購入してあった。それがいろいろな時に役立つように思えた。

18:00。防災無線で全域に避難勧告が出た。警戒レベル5だという。しかし全域の全員が避難したら避難所は足りないだろう。それに雨が強い。私の家から指定された避難所まで行くのには、橋を渡る必要がある。その橋が架かる川は大雨での増水が激しい。街の周りを流れている川の水位を知りたかった。小学生のころ徒歩で歩き回った場所の地形はコンピュータ・グラフィックスのように頭に浮かぶ。避難するかどうか決定するのに必要な情報は川の水位だけだった。

行政の勧告はあいまいだが、それは当然だ。全域の状況を全て把握できているわけではないだろう。たとえそれができていたとしても防災無線でのアナウンスという限られた情報のなかで詳細を伝えることは不可能だ。ただ、川の水位という情報が欲しかった。

家に留まることを決定した。それによって被害があるとしても自己責任だと考えた。
行政はよくやってくれている。河川の護岸工事。ハザードマップの作成と配布。避難方法の策定。

最終的には自分の判断に任せられる。判断の責任は自分にある。結果は運による。

考えてみれば、人生での決定は、そんなものだろう。どの選択肢が最善かは、自分にもそのときは、わからない。それどころか、あとになってもわからない。ただ、判断の責任は自分にある。

だれかに向かって「謝罪と賠償を求める」などと言うカッコ悪いことはしないぞ!と思った。

18:30。台風19号は伊豆半島に上陸した。

その後、私が住んでいる所の風雨は弱まって行った。一晩中起きているつもりだったが、日付が変わる頃には眠ってしまったようだ。

朝起きると、台風一過の晴天に恵まれていた。涼しい。そして秋が深まる。

国、自治体、自衛隊、警察、消防、それから電力などのインフラや交通機関。それらの組織で働く人には頭が下がる。

避難の決断は自分の責任だと考えた。そのためには次の2つのことが良いと思う。

ひとつ目。高校で地学を必修とする。
ハザードマップや避難方法などの書かれたパンフレットが自分が住んでいる自治体から配られるが、それを有機的に理解するためには地学の知識が必要だと思う。高校で地学が選択教科となり地学を選択しない生徒も多いようだが、地震が多く台風も来る日本に住むには、地学の知識は必要だろう。それも地元の地学的特徴を学習するととても役に立つと思う。

二つ目。エリア内の主要な河川の定点に川の水位が分かるように防災カメラを設置し、そのライブ映像を自治体のWEBサイトから見ることができるようにする。
今回の経験から良いアイデアだと思ったのですが、既にそのような意味で防災カメラが設置してある場所も多いようです。

今回の経験から、防災セットを常備することが必要だとわかりました。

詳細は、防災グッズメーカーLA・PITAのWEBサイトで。
こちらをクリックお願いします。

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自信について

「自信」というと、「私は〇〇について自信があります。」という言い方をよく耳にするが、ほんとうは違う。

自信とは「自分が生きているだけで価値がある、と感情的に思っていること」、だよ。

「私は学校の成績が良いから価値がある」と思っていると、試験で悪い点数を取ってしまった場合、かなりがっかりする。また「私は職場で高い地位にあるから価値がある」と思っていると、なんらかの理由で職場のその地位を失うと、がっかりする。

「学校の成績が良いから価値がある」と思っている人は、大きな試験に臨んで、「この試験に失敗したらどうしよう?」と思って、実力を発揮できない場合がある。試験に失敗することよりも、試験に失敗して自分ががっかりするのが怖いのだ。「職場で高い地位にあるから価値がある」と思っている人は、その地位を失うのを恐れて、積極的な発言や行動ができない。

自信の無い人は、イベントに失敗すること自体よりも、イベントに失敗して自分ががっかりすることが怖いのだ。そして、自信の無い人は、自分ががっかりするのを恐れるが為に、イベントに失敗することが多い傾向にあるのではないか?

自信を持つ方法は、私が考えるには、2つ有る。

ひとつ目は、「私には価値がある」と自分に言い聞かせること。
“I am a VALUE.”
と、1日何回も、1カ月間、自分に向かって言い続ける。人間の感情は条件反射なので、何回も繰り返し言い続けることによって、変えることができる。

二つ目は、失敗すること。失敗してみて、「あっ!、失敗してもこの程度しかがっかりしないんだ!自分は思ったよりしっかりした奴なんだ!」と分かって、自信を持つことができる。この方法は、自分の心のなかの自信を確認することはできるが、その失敗による物的および社会的損失が伴うので、わざわざ行うのでなく、失敗したとき、自分の心のなかの自信を確認するのが良いと思う。

以上、偉そうなことを言って参りましたが、それは私があまりに自信が無い人であったからこそ分かったことであります。或る先生の多くの著書を読んで学んだことの受け売りでもありますが、それについては稿を改めることにします。

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実感通り、サラリーマンの収入は減っている

平成7年(1996年)から平成26年(2014年)の、「サラリーマンの平均年収」が、次の図である。

国税庁・民間給与実態統計調査結果を基にした、インターネット上にある図の、写しであり、著作権の問題などがあれば削除しますので、問題があればご連絡ください。

(私も含め)給与所得者の皆様は、過去20年間、収入が減っているように感じていませんか?この図を見ることにより、それが事実だと言えそうである。平成9年の467万円をピークに減り続け、平成21年の406万円まで減少した。実に、61万円少なくなった。その後アベノミクスによる金融政策等の結果、増加に転じているが、平成26年もピークの平成9年に比較すると52万円少ない。平成9年のピーク時と比較すると11%少ないのだ。

この間、一人あたり名目GDPは400万円程度を推移している。平成23年に東日本大震災の影響で減少したが、現在400万円に戻りつつある。また、日本のGDPも1995年以降、増加傾向にある。

したがってサラリーマンの平均年収が大幅に減少している理由が不明なのだが、私(Ariizumi)は、「生産性の向上」そのものが、サラリーマンの平均年収の減少の原因の大きなひとつだと考えている。

製造現場ではロボットなどの機械の導入。事務部門ではパーソナルコンピュータ(パソコン、PC)の導入。それらにより、労働者ひとりあたりの労働生産性が大きく向上した。

生産性の向上 → 労働力の余剰 → 労働力の買いたたき → 
 →  労働者の収入の減少 → 国民の購買力の低下 → デフレ

パソコンなどによってもたらされた生産性の向上が、労働者の収入の減少とデフレにつながっている。

このような経済学的研究が有るのかどうか知らないが、私は一般向けのメディアでそういう論調の記事を読んだことがない。私がこのブログを立ち上げた理由の大きな部分は、その検証をしてみたかったからである。興味の有るかたはお付き合いください。

私はエコノミストではなく、今の呼び方で言えばITエンジニア(以前の呼び方だとシステムエンジニア)で、自分の仕事をシステム化したのがもとでテクノロジー失業した、現在、自称「自称ITエンジニア」であります。

上の図は、図らずも1995年から記載が始まっているが、1995年にWINDOWS95が登場し、その後、パソコンの事務部門への浸透は速く、影響が大きかったと、私は考えている。

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主観的に生きる

20代の後半の頃の思い出。

職場の先輩(その方は私より20歳くらい年上だと思う)に飲みに連れて行っていただいた。そのとき、こう訊かれた。

「アリちゃん、君の生き方のポリシーはなんだい?」

正確な言葉は忘れたが、こんな意味だった。私はそれにこう答えた。

「主観的に生きることです。」

この答について私は今でもよくこう答えたものだと思うし、今でも変わっていない。

でも、考えてみれば、あたりまえなのかも。「客観的に生きる」って、どういうことなのか?そんなことができるのか?他の人の人生を生きることができるはずがない。他の人の自分への評価を良くするために生きる、というのも、一見意味があるようで、まったく意味がない。

20歳くらいまで私は、「客観的」に生きていた。同級生からよく思われたり先生に褒められたくて勉強し、同級生や世間の人からの評価を得たくて偏差値の高い大学の入学試験に合格しようと頑張った。もとは勉強して知識を得てその内容がおもしろいから勉強していたはずなのに、いつの間にか変わってしまっていた。

五月病になり、人生を生きる推進力を失ってしまった。

何かに集中し、その集中している感覚に生き甲斐を見出す。そうして生きることにした。

仕事をしておもしろいと感じる。人と話してその人の人柄を感じる。景色を見て美しいと感じる。

「主観的に生きる。」

そのなかで他の人への思いやりも生まれた。

「主観的に生きる。」これが私の人生のいち大テーマなので、今後も書きますね。

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